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2019年11月10日日曜日

棚橋、ケニーによるイデオロギー闘争の是非

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新日本プロレスはイデオロギー闘争のまっただ中だ。昨日行われた両国大会でそれはマグマのように噴出した。
IWGPヘビー級王者ケニーは、新日の歴史の中で名作無しと言われた3WAYマッチ、同時に3人の選手が戦い、誰かが決着した時点で試合終了というルールの中で様々な人間模様を描いてみせた。
1.4東京ドームでそのタイトルに挑戦を決めた棚橋は、新しい試みや身体性を活かしたプロレスを続けるケニーに、「ここは新日本プロレスだぞ。お前は賞味期限切れだよ」とNoをつきつけた。
棚橋との試合には敗れたもののジェイホワイトは、棚橋を救出に来たオカダの目の前でバレットクラブOGとの結託。自らの処遇に不満のある外国人選手が実力行使でその座を奪う、という本来のバレットクラブの在るべき姿を訴えることで、自らの立ち位置を明確にした。
内藤は、高橋ヒロムの長期離脱をものともせず、前日にドラゴンゲートを退団した鷹木信悟をパレハとして迎え入れ、ロスインゴベルナブレスデハポンは止まらないことを観客にアプローチした。


とにかく選手には、それぞれの主張がある。もちろんそれが故に戦うのであり、主張無き戦いはただのスポーツになってしまうに過ぎない。ただイデオロギー闘争という装置は麻薬のようなものだ。それは時に悲しみを呼ぶ事となる。
前 述したように、現王者であるケニーのプロレスはアスリートプロレス、高い身体性で限界の戦いを見せるプロレスと、インターネットやSNSを駆使して世界中 のどこでも最新のストーリーを追うエンターテイメントを組み合わせている。その結果、新日本プロレスでは今まで見た事のないような形式の試合であったり、 複雑なコンテクストを持つ抗争を披露している。
対する、棚橋は早々にケニーのプロレスにNoを申した。棚橋は圧 倒的な信頼を得ている。それは10年近くに及ぶ献身的な姿で新日に尽くして来たことに対する姿勢そのものだ。「ここは新日本プロレスだぞ。お前は賞味期限 切れだよ」という発言を紐解いてみると、その奇異さに気付く。
まず「ここは新日本プロレスだぞ。」の発言、この 前にはお客さんも拍手していたけど、という枕詞がつく。メインのIWGPヘビー選手権で3WAYルールを見ていたお客さんに対してだ。この試合、ケニーと 飯伏、Codyという同じバレットクラブELITEの面々で行われた。ケニー飯伏はケニー初来日の10年近い付き合いであり、互いに親愛を隠さない相思相 愛のタッグであり、ライバルだ。Codyとはバレットクラブの権限を巡り敵対したこともあったが、互いにその価値と実力を認め合う仲間になった。

彼らはそ れぞれ自らのプロレスで世界を変えることを目的として同じユニットに所属しており、この3WAYマッチもそれまでのそれぞれの辿って来た道程を重ねながら も、世界を見ても誰の真似の出来ない高い水準のプロレスが繰り広げられたことに対し、観客は素直に拍手をしたのだ。
し かし、棚橋はその観客に対しても釘を刺した。だが、棚橋は本当に"新日本プロレス"なのだろうか。確かに年月をかけて彼はエースという座を手に入れたが、 至るまでには受け入れられずブーイングを食らい続けた。新日のヘビー級としては身長が低く、飛び技や丸め込み技を駆使するその様は、"新日のレスラーらし くない"と言われ続けて来たのではないか。
彼のライバルである中邑は海の向こうでキングオブストロングスタイル と呼ばれている。では棚橋のプロレスは新日本のプロレスなのだろうか。いや、棚橋のプロレスはむしろ正道ではない。アントニオ猪木の作ったプロレス観を否 定して塗り替えたに過ぎない。棚橋のレスリングスキルのベースになってるのは、むしろNWA王者の老獪なテクニックだ。いや、アントニオ猪木自身も周到に 作られたアメリカンプロレスそのものだったという見方をすれば、棚橋もその系譜と言うべきだが、ここは新日本プロレスだぞ、という指摘はあまりにも的外れ ではないか。
またこの言葉には、もう一つ見方があり、ELITEの面々は新日本プロレスの興行にフル参戦はして いない。事実、両国の前日に行われた大会にメインに出てた3人の姿はなかった。どんな状況であれ、地方でも自分を待ってくれるお客さんがいる限り、興行に 出続ける生え抜きの棚橋にとって、いつ離脱するかも分からない外国人選手、他所の選手というのは邪魔な存在だと言える。
「お 前は賞味期限切れだよ」という言葉も続いたが、違和感がある。まさにその直前、観客を沸かし拍手をもらっていた男を前にその言葉はあまりにもぶしつけだっ た。手を変え品を変え、対戦相手を変え、ルールを変え、派手な技をぶつけあうケニーのプロレスは消費サイクルの早さを指摘されてはいる。
だが、棚橋の直近の作品であるオカダ戦は序盤、飛び技で膝を痛めた棚橋は著しく動きを制限され悲壮感に溢れた。G1での試合は棚橋のいるAグループより、ケニーのいたBグループでは連日好勝負で客の目を引き続けた。賞味期限が切れかかっているのはどちらなのだろうか。


イ デオロギー闘争に持ち込もうとした結果、棚橋は自らその差を明らかにしてしまうことになってしまったのではないか。事実、この発言の直後、いつもなら会場 が爆発するように起こるGo ACEコールも少なめだったように思う。いみじくもその瞬間、内藤がかつて言った「棚橋が言えば、何でも会社は言うことを聞くのか」という発言を思い出し た。
棚橋は今回もマイクで自分の主張をし、観客を引きつけようとしたが、観客は目の前で見せられたプロレスの鮮 やかさを前に両手離しでそれを受け入れはしなかった。新日本生え抜きvs他団体からの外敵という構造は言い換えれば、日本人vs外国人だが、多様化し、海 外進出を目前とした新日本プロレスにおいて、その構図はあまりにも粗雑ではないか。
棚橋の功績は間違いない。新 日本プロレスを土壇場で守って来たのも確かだ。しかし、かつての永田がそうであったように棚橋もタイムリミットが近づいているのではないかと感じることが 寂しく思う。

例えば、棚橋が慕う武藤は武藤とグレートムタという顔を使い分け、自らも新日本のトップでありながら、海外に行けば絶対的な知名度を誇り、時 として本隊ではなくnWoとしてヒールに立ち位置を変えたし、コスチュームや入場BGMも都度変えた。棚橋はどうだろうか。そう問いかけたいのだ。


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