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2019年11月10日日曜日

プロレスは勝ち負けではないのか

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前回、更新したNHKの番組で内藤が言い放った、勝ち負けでプロレスしてないですから、という一言は、プロレスを見ているファンだけではなく業界関係者にも大きな揺さぶりをかけたようだ。
何 故なら、日本のプロレスは未だその境目、スポーツなのかエンターテイメントなのかをぼかし続けている、ましてや新日本プロレスの掲げてきたキングオブス ポーツという看板を背負う男、放送の中でどれだけ新日を愛してきたのかを披露した男が、いみじくも勝敗を度外視したのだ。
い や、皆分かっているのだ、プロレスの真に素晴らしいところというのは、その一試合の勝ち負け、レフェリーが手を挙げたかどうかではない。その瞬間、あるい は先々にフととんでもない名勝負だったんじゃないか、と思い出してしまったり、その試合の後に続く何かの始まりに過ぎないことをよく知っているはずなの だ。
だから、その気付きに対して、プロレス週刊誌だけが前時代的なプロレス観に取り残されてるのではないかとつぶやいている人がいた。
確 かに、週刊プロレスの多くは試合の写真と試合の経過、試合後のマイクやインタビューを掲載している。インターネットの発達により、団体が自ら動画を上げ、 試合結果だってファンがオンタイムで更新している。そんな時に試合の流れを写真と文で見せられても、一週間前の話に過ぎない。
しかし、個人的に思うのだが、そのスタンスこそが虚像の現れではないかと思うのだ。未だにプロレス雑誌がスポーツのところに並ぶのは、週刊雑誌がまるでスポーツ誌のような顔をして、勝敗にこだわった風貌で並ぶからこそプロレスの真の面白さというものが存在しえるのである。
プ ロレスが真剣かどうかなんてことはどうでもいいことだ。見ているうちにいつの間にか手に汗握り声を出してしまうのがプロレスなのだ。最初はケツ連発してい つも負けてる田口監督がある日突然真面目に試合をしてかっこよく見えた時にはもう後戻りは出来なくなっているのだ。プロレスは本当は勝ち負けを通り越した ところに存在しているけど、リングの上に勝ち負けは存在してるというわけだ。
同じことを言っていたのは誰でもな いジャイアント馬場である。シュートを超えたものがプロレス、いや、あの内藤が無意識にそれを言ったとは思えないが。棚橋はアントニオ猪木は誰よりもアメ リカンプロレスだったんじゃないかと言った。内藤はプロレスは勝ち負けを超えたとジャイアント馬場と同じことを言った。少しずつ、少しずつ時代そのものが 移り変わっていく匂いが漂い始めている。


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